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夏目漱石对室内的描写

时间:2022-04-06 理论教育 版权反馈
【摘要】:夏目漱石是和森鸥外在许多地方形成鲜明对照的作家,我们来看一下他在房间描写上的写作手法:靴を脱いで上がると、御座敷があきましたからと下女が二階へ案内した。夏目漱石的文体特点就存在于他自主地把这些矛盾而混乱的东西进行批判和诙谐化。连锁式展开的这种形式被认为是夏目漱石的一种文体风格。不妨说,夏目漱石对房间进行细节描写时,对意义的把握大于对美的注重。

夏目漱石是和森鸥外在许多地方形成鲜明对照的作家,我们来看一下他在房间描写上的写作手法:

靴を脱いで上がると、御座敷があきましたからと下女が二階へ案内した。十五畳の表二階で大きな床の間がついて居る。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へ這入つた事はない。此後いつ這入れるかわからないから、洋服を脱いで浴衣一枚になつて座敷の真中へ大の字に寝て見た。いい心持ちである。

(《ちゃん》1906年第20页)

这种描写着眼的是主人公的行为和心理,作为房间的客观事实描写,只有一句「十五畳の表二階で大きな床の間がついて居る」,而其他细节的地方没有着墨。与客体相比,这样的房间描写重点更多的是放在行为主体上。

部屋の中を見廻すと真中に大きな長い樫のが置いてある。其上には何だか込入つた、太いだらけの器械が乗つかつて、其に大きな硝子の鉢に水が入てある。其外にやすりとと襟飾が一つ落ちてゐる。最後に向の隅を見ると、三尺位のの台の上に、福神漬の罐程な複雑な器械が乗せてある。三四郎は此罐の横腹に開いてゐる二つの穴に眼をつけた。穴が蛇の眼玉の様に光つてゐる。野々宮君は笑ひながら光るでせうと言つた。

(《三四郎》(三)1908年第63页)

这是三四郎第一次拜访理科大学野野宫先生时实验室的情景,里面有很多局部描写。从手法上看,与其说是富有美感,倒不如说它更接近于二叶亭、独步的释义局部描写法。但这些局部缺乏意义上统一,可说是一种不一致、不协调、混乱的细节描写,在显示研究室杂乱感的同时,还略有一种滑稽感。漱石要表现的不是整齐协调的美感,而是杂乱无章的滑稽感。

三四郎は看病をやめて、座敷を見廻した。いか様古い建物と思はれて、柱に寂がある。其代り唐紙の立附が悪い。天井は真黒だ。許が当世に光つてゐる。野々宮君の様な新式な学者が、にこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。物数奇ならば当人の随意だが、もし必要にられて、郊外に自らを放逐したとすると、甚だ気の毒である。聞く所によると、あれ丈の学者で、月にたつた五十円しか、大学から貰ってゐないさうだ。だから己を得ず私立学校へ教へに行くのだらう。それで妹に入院されては堪るまい。大久保へ越したのも、或はそんな経済上の都合かも知れない。......

(《三四郎》(三)第73页)

以上也是从矛盾和不协调中来捕捉室内细节的。而且,这种矛盾和不协调不仅带有滑稽感,而且延伸到对社会的批判,是一种理性的、知性的表现方式。夏目漱石的文体特点就存在于他自主地把这些矛盾而混乱的东西进行批判和诙谐化。内容的不同自然其表现也就结构不同,最能体现夏目漱石特点的是下面的文章:

三四郎は室の隅にある洋机と洋机の前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、其本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見廻して、此静な書斎の主人は、あの批判家と同く無事で幸福であると思つた。

(《三四郎》(三)第74页)

这里的细节描写并不混乱,反而是较统一的。而且采用的是所谓的连锁式结构。连锁式展开的这种形式被认为是夏目漱石的一种文体风格。但是,这种结构到底意味着什么呢?这种方法与森鸥外那种把整体在头脑中进行逻辑分析,把它按照逻辑顺序写出来,再进行解释说明的方法完全不同。它仅靠句子的连接来展开内容。因此,从整体上看接下来会怎样是不可预知的,类似于那种漫无计划的行为。前面的行为和后面的行为有着一定的联系,但是从整体上看无法预测到底会怎样。正因为如此,比起有条理的描述,它带给读者的是自由和解放感。夏目漱石的房间描写是在对房间进行客观的细节描写时,不知不觉就扩展到作者和作品中人物的批判性思考中去了。或许这从根本上来说是由于按连锁式展开的思考方式所致的结果。不妨说,夏目漱石对房间进行细节描写时,对意义的把握大于对美的注重。但是,在他晚年的作品中也有这样的描写:

往来へ出た津田の足は次第に吉川の家を遠さかつた。けれども彼の頭は彼の足程早く今迄居た応接間を離れる訳に行かなかつた。彼は比較的人通りの少ない宵闇の町を歩きながら、やはり明るい室内の光景をちらちら見た。

冷たさうに燦つく肌合の七宝製の花瓶、其花瓶の滑らかな表面に流れる華麗な模様の色、卓上に運ばれた銀きせの丸盆、同じ色の角砂糖入と牛乳入、蒼黒い地の中に茶の唐草模様を浮かした重さうな窓掛、三隅に金箔を置いた装飾用のアルバム、――斯ういふものの強い刺戟が、既に明るい電燈の下を去つて、暗い戸外へ出た彼の眼の中を不秩序に往来した。

(《明暗》(十三)1916年第196页)

与三四郎拜访野々宮先生的实验室的描写一样,这里的细节描写也是无条理的。但这里的细节描写与诙谐感相比,更好地表现了美感。并且不仅仅是作为一种现实的存在,而且头脑中相应产生的画面也显得更美了,这是一种新的室内美的表现方法。像这种从自主印象的角度对美进行描写的方法,比从客观角度来描写,更符合夏目漱石的那种强烈的行为自主性的文体风格。

动态的自主性,加之碰撞的热情,对矛盾和混乱的把握,诙谐化,批判性——这些风格特色都可以从夏目漱石的房间描写中体现出来。

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