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労働法改革と企業経営

时间:2022-06-01 百科知识 版权反馈
【摘要】:労働法改革と企業経営東京大学社会科学研究所教授 仁田道夫四川大学经济学院硕士研究生 沈 莹はじめに1990年代以降、経済のグローバル化とバブル崩壊後の影響を強く受けた困難な局面が続く中で、日本の企業経営者たちは、企業を取り巻く社会のあり方について、様々な形で発言し、構造改革を求めてきた。労働法改革も、こうした経営者による改革要求動の重要テーマの一つであった。

労働法改革と企業経営

東京大学社会科学研究所教授 仁田道夫

四川大学经济学院硕士研究生 沈 莹

はじめに

1990年代以降、経済のグローバル化とバブル崩壊後の影響を強く受けた困難な局面が続く中で、日本の企業経営者たちは、企業を取り巻く社会のあり方について、様々な形で発言し、構造改革を求めてきた。労働法改革も、こうした経営者による改革要求運動の重要テーマの一つであった。実際に、解雇法制、労働時間法制、労働者派遣法制など多くの分野で法改正が実行に移された。

このような経緯を見る限り、企業経営者主導の労働法改革が進み、それに支えられて日本の雇用関係は、従来の伝統的なあり方から大きく転換しつつあるように見える。だが、そのような議論は必ずしも正確ではない。以下、1990年代末から2000年代初頭にかけての日本の労働法改革の中でもとくに重要であった解雇法制をめぐる議論と法制化の経緯を検討することにより、このことを確かめてみよう。

日本の解雇法制

2003年に国会で成立した改正労働基準法は、雇用関係の基本をなす労働契約のあり方を変更しようとするもので、画期的な意義をもっていた。すなわち、従来、法律上の条文に明確な規定がなく、裁判所による判例法理の積み重ねによって作り上げられてきた解雇規制についての条文が、労働基準法18条の2として初めて制定法となった。

日本の解雇法制は複雑であるが、もともと労働基準法上は、解雇は契約自由の原則にしたがって雇い主の自由であり、1ヶ月の解雇予告(または1ヶ月分の給与支払い)を行えば自由に解雇できることになっていた。しかし、長い時間をかけて解雇をめぐる様々な裁判例を通じて「解雇権濫用法理」が次第に確立されてきた。その一つの到達点が、日本食塩製造事件に関する1975年の最高裁判例である。これによって「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」とする判例法理が確立した(菅野、2005参照)。

また、通常は、客観的に合理的な理由となりうる経営上の都合による整理解雇についても、1970年代のさまざまな判例を通じて、「整理解雇の4要件」が明確にされていき、70年代末までには、この基準に満たない整理解雇は、やはり解雇権の濫用として無効となるとする法理が確立した。4要件が問題とは、以下の通りである。

第1要件は、「人員削減の必要性」である。企業の経済状態(売上高など)から判断して、人員削減が必要であるかどうかが問題となる。

第2要件は、「人員削減手段としての解雇の必要性」である。他の方法(たとえば希望退職の募集など)で人減らしを行うことはできないのか。

第3要件は、「被解雇者選定の妥当性」である。特定の労働者や労働者グループを一方的に差別的に取り扱うような選定方法ではいけない。

第4要件は、「解雇手続きの妥当性」である。労働組合や従業員代表と、解雇の内容や退職条件などについて事前に話し合うなど、適切な手続きがとられているかが問題となる。

解雇法制改革論

これに対して、解雇法制の改革を主張する議論が1990年代後半から急速に高まってきた。構造改革の必要性を強く主張する一部の経営者と経済評論家、そして経済官僚たちがその主たる提唱者であった。彼らの議論を要約して示すと、次のようになる。

1)現在の整理解雇を規制する判例法理は、解雇を困難にしている。

2)その結果、企業にとって雇用のリスクが高すぎるので、経営者は、なるべく人を採らないようにする。

3)その結果、マクロ的にみた雇用機会は望ましい水準以下に押し下げられている。

4)また判例法理に全面的に依存する解雇法制は、裁判結果の予測が困難であり、企業はリスクを恐れて、解雇が合法であると思われる場合にも、これを避けようとするので、雇用調整が十分に進まない。

2001年に発足した小泉内閣は、経済危機のさなかに発足した政権であり、その政策基調は大胆な構造改革の推進にあった。「改革なくして成長なし」というのがそのスローガンであった。この政策基調のもとで、さまざまな分野で規制改革が実行に移された。2000年代初めの労働法改革も、この流れのなかで理解することができる。

2003年労働基準法改正

さて、解雇法制をめぐる議論が法改正を視野に入れて具体化したのは2002年の後半である。労働基準法18条の2として、「使用者は労働者を解雇することができる。ただし、その解雇が、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」という条文を挿入するというのが改正案であった。衆議院厚生労働委員会において2003年5月7日に審議入りし、質疑を重ねたのち、同改正案は、6月4日の同委員会において修正の上、可決された。解雇法制については、原案から、第1文、すなわち「使用者は労働者を解雇することができる」という文言が削られ、第2文のみが残されることになった。

政府提出の改正案自体、法律論的には、すでに確立している解雇に関する判例法理を成文法化する性格のものであり、現状を変更しようとするものではないと説明されたが、労働組合と野党は、この条文は、解雇を容易にする可能性があるとして批判した。国会で論戦が展開され、結局、上記のような修正を行うことで妥協が図られたものである。これを踏まえ、衆議院、参議院で修正改正案が可決され、労働基準法に解雇法制が組み込まれることになった。

経営者主流の対応

解雇法制改革は、小泉内閣の規制緩和政策の目玉の一つとして強く推進されたものだが、結果的には、現状維持で終わった。これは、どのような理由によるのだろうか。

第1に、日本の雇用システムが雇用調整を著しく困難にし、結果として企業の採用行動に悪影響を及ぼしているという規制改革派の主張は、明確な証拠によって裏付けられないという事実がある。実際には、日本の雇用システムは相当程度柔軟なものであり、必要になった場合には、企業はさまざまな方法を用いて雇用調整を実施している(仁田、2003参照)。雇用動向調査に基づいて経営上の都合による離職者の全従業員数に対する割合(経営上の都合離職率)を計算してみると、1997-1988年の金融危機をきっかけとして、大幅な増加をしている。1999年には、それまでのピークだった1973年の1.3%と同レベルに達し、2001年には、2.03%にまで上って、それまでのピークを大幅に更新した。失業率が高い時で5%程度であるから、この経営上の離職率の水準が相当高いものであることが理解できよう。既存の法制度の下で、企業は大幅な人減らしに成功している。

第2に、企業経営者の主流が上記のような規制緩和派の主張を支持せず、既存の雇用システムの枠組みを基本的に守るべきだという態度をとったことである。全体としては小泉内閣の構造改革政策を強く支持した経営者主流だが、解雇法制をめぐる対応は、それとは異なったものであった。

たとえば、2001年9月18日の総合規制改革会議ヒアリングにおいて、福岡道生日経連専務理事は、「解雇基準の法制化」に明確な反対意見を述べている。「労働基準法の性格を鑑みるとその中に解雇法制の規定が入ることは規制強化となるため反対。また便乗解雇など経営者のモラルハザードを引き起こしかねない解雇規制緩和ルールの設定には反対。」前段は、やや趣旨が異なるが、後段の主張は、明確に、「解雇の容易化」を目指す規制改革会議の主張と反するものであった。規制緩和派の牙城である総合規制改革会議を構成する一部経営者、学者らの主張に経営者主流が反対の姿勢を旗幟鮮明にしたものと言ってよい。

この発言は、同専務理事が独断で行ったものではない。当時、日経連会長であり、その後、経団連と日経連が合併してできた日本経団連会長ともなった奥田碩氏は、2001年8月2日の第33回日経連トップセミナーで行った講演のなかで「雇用の維持は労使の責務」とし、不良債権の最終処理に際しては、「それにともなう離職者がなるべく少なくなるような方法を採用するとともに、他のすべての企業においては、仮に雇用の過剰感があるとしても、雇用に手をつけることは最後の手段であるという共通認識のもと、それを回避するために、労使で最大限の努力を行わなければならない」と強く主張している。そして「今、一部の論者からは、解雇規制の緩和を求める声が出ておりますが、私はこれは最もやってはいけないことであると思います。それは最も警戒すべき便乗解雇を容易にするものであるとともに、何より、経営者のモラルハザードに直結しかねないものであるからであります。」と述べている。

こうした経営者主流の基本的態度が構造改革を推進する政府·与党にも影響を与え、解雇法制を労働基準法に組み込むが、基本的には、現状を維持するという結果につながったと考えられる。

雇用ポートフォリオ

このような経営者主流の雇用システムに関する態度は、一朝一夕に作られたものではなく、また、単に特定のリーダーの個性的見解であるわけでもない。1995年5月に日経連が公表した『新時代の「日本的経営」』と題する報告書は、バブル崩壊後の経済停滞の中で、日本型雇用システムの再評価と展望を示した文書であり、さまざまな形で引用されてきたが、10年以上経過した今日でも、その影響力は失われていない。その冒頭には、次のような文章が置かれている。「経営環境が大きく変わる中で、日本的経営の運営面で考えなければならない問題はいくつもあるが、日本的経営の基本理念である「人間中心(尊重)の経営」「長期的視野に立った経営」は普遍的な性格をもつものであり、今後ともその深化を図りつつ堅持していく必要がある。」(日経連、1995、3ページ)上記の奥田会長·福岡専務理事の発言は、1997-8年金融危機のパニックと、小泉改革という大きな社会変動を経験する中でも、この経営者主流の基本的態度は変わらなかったということを意味する。

もちろん、グローバル化する世界経済のもとで、激変する経営環境に対応するには、従来の雇用システムを堅持するというだけでは、経営者にとって説得的な対応策とはなりえない。上記日経連報告が用意した対応策は、「雇用ポートフォリオ」アプローチであった。このアプローチのもとでは、企業は、次の3種類の労働力を適切に組み合わせることによって柔軟かつ高度のパフォーマンスを発揮する組織を作ろうとする。

1)長期蓄積能力活用型グループ:管理職·総合職·技能部門の基幹職対象。基本的には従来型。

2)高度専門能力活用型グループ:専門部門(企画·営業·研究開発等)対象。有期契約で、年功昇給なしの年俸制。

3)雇用柔軟型グループ:一般職·技能部門·販売部門対象の非基幹職対象。有期雇用契約で、昇給なしの時間給。

変化する環境に対応する柔軟性は、主として上記2)や3)のグループの導入·拡充によって確保するというのがこのアプローチの基本である。その後の事態の推移は、日本の企業が基本的にはこのアプローチを踏襲し、結果として、雇用柔軟型グループのウェイトが上昇したことを示している。長期蓄積能力活用型グループは漸減した。しかし、高度専門能力活用型グループは、必ずしもその存在を確立したとはいいにくい。

雇用柔軟化グループの増大は、とくに若年労働者の間に、高度専門能力活用型や長期蓄積能力型のグループへの転換が困難な負け犬グループを生み出し、永続的な社会的格差の定着につながってしまうのではないかという危惧を招いている。これは、現在日本で盛んに行われている格差論争の中心的論点のひとつである。雇用ポートフォリオ·アプローチは、その有効性を示したが、それだけに大きな課題を社会に残した。

参考文献:

1.菅野和夫 2005年『労働法(第7版)』弘文堂。

2.日本経営者団体連盟(日経連)1995年『新時代の「日本的営」-挑戦すべき方向とその具体策』日経連。

3.仁田道夫 2003年『変化のなかの雇用システム』東京大学出版会。

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