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初期的假名文

时间:2022-04-06 理论教育 版权反馈
【摘要】:1)实用性、私人性场合的假名文——文书、假名书信、日记虽然平安初期是汉诗汉文及变体汉文的天下,无论于公于私都被尊为正统、高尚的文章,假名文并不能登上大雅之堂。的特点为训读文对初期的假名文影响较强,如《古今集》的〈假名序〉、《土左日记》《竹取物语》《宇津保物语》等文章里的训读语。这说明新散文是在日常语里混用了训读语的口语文言混合文。

1)实用性、私人性场合的假名文——文书、假名书信、日记

虽然平安初期是汉诗汉文及变体汉文的天下,无论于公于私都被尊为正统、高尚的文章,假名文并不能登上大雅之堂。但在表现日常生活中的机智及富于变化的感情上,假名文却具有它独自的优越性,并时而为上层人士所用,如867年(贞观9年)的《讃岐国司解端書(有年申文)》和《大師御病中言上草書》(円珍自笔。《園城寺文書》)的两篇文章里使用了假名文的表现方法:

改姓人夾名勘録進上、許礼波奈世无尓加官尓末之多末波无、見太末不波可利止奈毛不、抑刑大史乃多末比天、定以出賜、以止与可良無

(这一段中混用了变体汉文“改姓人はむ”与假名文“これは何せむにか官に申し賜はむ、見賜ふばかりとなも思ふ。宣ひて”“いとよからむ”)

雲上人波見奈衣参之太布末之久波へ太布奈利、昨令寺主取消息了

(岗村和江1977:238)

(这一段中混用了假名文“雲上人は皆えぶまじくぶなり”与变体汉文寺主に消息を取らしめ了りぬ”)

在以上文章中,时有日常用语的表现出现,如表示强调的“なも”,程度副词“いと”,可能的否定“え~まじ”以及敬语“はべりたまふ”的变形“はべ(ン)たぶ”等。

2)文学性表现的假名文——和歌序、日记、物语

即便如此,汉文和汉诗仍在知识层中占着主导地位,“実用の場では効果的な仮名文も、漢文で鍛えられた知識人の散文精神をなかなか刺激しなかった。また、漢詩文の隆盛期に和歌が私生活に埋もれていたことは、感性的抒情的散文の育つような環境をととのえなかった”(岗村和江1977:241)。但是,当歌会唱和成为后宫的活动后,贵族及识字阶层周围的女性——文字教育停留在假名阶段的女性——中间对读物的渴求也随之高涨,如此便促成了知识层用假名和日常用语书写文学性文章的活动。

终于在905年(延喜5年)的时候,由纪贯之等选编的《古今集》的问世开创了假名文学的先河,从此假名作为正式的文字步入了大雅之堂。其假名的连绵书写体最有代表性的当属纪贯之自写的《土左日记》,下面试摘其开头一段为例:

をとこもすといふ日記といふ物

をゝむなもして心みむとてする

なりそれのとしゝはすのはつか

あまりひとひの日のいぬの時に

かとてすそのよしいさゝかに物

にかきつくある人あかたのよと

せいつとせはてゝれいのことゝも

みなしをへてけゆなとゝりてすむ

たちよりいてゝ舟にのるへき」1オ

所へわたるかれこれしるしらぬ

をくりすとしころよくゝらへつる人/\なむわかれかたく思ひてし

きりにとかくしつゝのゝしるう

ちに夜ふけぬ

岗村和江(1977)将初期假名文学的文章特点归纳为以下几点:[8]

(1)以日常用语为主,间或混用训读语;

(2)引用法中多用特殊的指示说明形式;

(3)句和句之间的连接语多,独句少;

(4)对句、渐层法等修饰明显等。

并且决定这些语言特征的还有:①日常话语性质;②口诵性的影响;③训读文的影响;④作者与读者之间的距离等要素的影响。

(1)的特点为训读文对初期的假名文影响较强,如《古今集》的〈假名序〉、《土左日记》《竹取物语》《宇津保物语》等文章里的训读语。这说明新散文是在日常语里混用了训读语的口语文言混合文。所引用的会话文、书信文里省略不多,如:

月の宮古の人にて、ちゝはゝあり。かた時のあひだとて、かの国よりまうでこしかども、かくこのくににはあまたのとしをへぬるになん有ける。かの国のちゝ母の事もおぼえず、こゝには、かく久しくあそびきこえて、ならひたてまつれり。いみじからむ心ちもせず、かなしくのみある。されどをのが心ならず、まかりなむとする。

(《竹取物語》かくや姫の翁への詞、武藤本)

以上文段里一句一句都断句的方式也是训读文的特点。《伊势物语》虽未见有训读语,但从其会话引用部分中时有省略形出现的情况也显示了训读文的影响,如:

かゝるきみにつかうまつらで、すくせつたなくかなしきこと、このおとこにほだされて

在(2)的引用法中,在描述人物内心思维的叙述前插入发言行为及思维行为动词“いふ、語る、申す、宣ふ、思ふ”等,提示及说明其后内容为特殊的表达,这与训读汉文的“某曰‘ ’”有关。《竹取物语》《古今集》的〈左注〉、《土左日记》《宇津保物语》等也多见“イハク……”的类型。

(3)的特征是句子和句子之间常用(A)接续词;(B)“この”“それ”等指示词;(C)前句中词的反复等连接方式,这些都与口诵性的影响、作者与读者之间的距离等要素相关,如:

(A)かぢとり、「けふ、かぜくものけしきはなはだあし」といひて、ふねいださずなりぬ。しかれども、ひねもすになみかぜたず。

(《土左日記》)

(B)そのさはにかきつばたいとおもしろくさきたり。それを見てある人のいはく、

(《伊勢物語》九)

(C)このこいとおほきに成ぬれば、名をみむろどいんべのあきたをよびてつけさす。あきた、なよ竹のかぐやひめとつけつ。

(《竹取物語》武藤本)

究其原因,岗村和江的分析颇有道理,即“初期の作者(語り手)は読者と同じサークルにいなかった。知識人であり、あるいは口誦内容を整え文章化する者であって、読者(聞き手)とは心理的感覚的にピッタリする場面を共有していない。「言わなくてもわかる」ことは期待できないので、ことさら連接要素によって文脈を構築する必要があったものと思われる”(岗村和江1977:245)。所以,在假名文学的成熟期,由于作者与读者进入了相同的语域范围,所以才有独立形的表达方式,显示其直观的、描写性的态度:

その人、かたちよりは心なんまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。

(《伊勢物語》ニ)

(4)《古今集》的“假名序”突出了句子的修辞:

ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すざのをのみことよりぞおこりける。

(二条家相伝本)

除以上综合运用了对偶、枕词“ひさかたの”“あらがねの”、序词“野辺におふるかづらの”等汉文的骈体法与和歌的修辞手法外,还使用了中顿的排列,这也是和歌序的典型用法,如:

松山のなみをかけ、野中の水をくみ、秋はぎのしたばをながめ、あか月のしぎのはねがきをかぞへ、

这种对仗句法在《土左日记》中也极为多见。另外,歌物语《伊势物语》中也可以见到如下以对仗声调造成的情绪化说教,极具听觉效果:

たちて見、ゐて見、(四) きこゆればはづかし、きこえねばくるし。(一三)

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