首页 理论教育 中日言語の発想・表現の比較

中日言語の発想・表現の比較

时间:2022-04-03 理论教育 版权反馈
【摘要】:中日言語の発想表現の比較_外国语言文学论丛(Ⅰ)中日言語の発想表現の比較——日本語の習得をめぐって王美森摘要:对于学习日语的中国学生来说,由于日语毕竟不是自己的母语,在学习的初始阶段,难免会遇到用汉语的思维方式去使用日语的情况。日本語の表現様式は日本人の考え方と日本文化の特色を反映するものである。以下は中日言語の語彙についての比較である。

中日言語の発想・表現の比較

——日本語の習得をめぐって

王美森

(西南科技大学外国语学院 四川绵阳 621010)

摘要:对于学习日语的中国学生来说,由于日语毕竟不是自己的母语,在学习的初始阶段,难免会遇到用汉语的思维方式去使用日语的情况。本文从词汇入手,对汉语、日语这两种语言的思维方式和表现形式做了一个基础性的比较。希望以此使学生更好地区分中日两国语言的思维方式和表现形式,并能够用日语的思维方式来使用日语。

关键词:日语;语言;发想;意识

論文の要旨:日本語を勉強している中国の学生にとっては、日本語はどうせ自分の母語ではなく、勉強し始める段階に、中国語の言語意識で日本語を使うのは回避しようにもなかなか難しいものと言えるに違いない。本論は語彙の違い、中国語と日本語、この二つの言語の発想・表現の相違について、基礎的に比較してみようと思う。中国語と日本語の発想、表現から出来るだけはっきり分けて、日本語の言語意識で日本語の習得に役に立とうと念願している。

はじめに

四年間日本語を勉強してきて、常に考えていることは、どうすれば自分に日本語らしい日本語を身につけさせることが出来るかという問題である。それは、日本語の言葉の中に潜む心の動きを的確に把握することだと思われる。言葉は素材であり、またそれを使いこなしていく心でもある。日本語をマスターするには、日本の文化、歴史、社会、風土と生活、日本人の思考方式、行動様式と言語意識などをよく認識し、言語習慣をしっかりつかんでいなければならないと考える。日本語の表現様式は日本人の考え方と日本文化の特色を反映するものである。そのため、そこまでふみこまないと日本語らしい日本語を身につけることは難しいと痛感した。

一、語彙からの比較

ご承知のように中国の学生が日本語を習い始めた段階ではずいぶん順調のようである。というのは、中国と日本は同じアジアにあって、共に東洋文化を持った隣国であり、二千年にわたる文化交流の歴史をもちつづけ、お互いに深い影響を与えてきたと言われている。特に文化の面では似通ったところが多く、漢字を共用することがその大きな特徴といえる。そこで、中国人にとって日本語は分かりやすい言語であり、入門しやすい言語でもある。以下は中日言語の語彙についての比較である。

1.同形同義語

中国語と日本語の漢語語彙の中には、同形同義の場合がある。

例えば、電話、自由、散歩、朗読、椅子などは字や意味が同じばかりでなく、読み方もよく似ている。例を挙げてみると、

電話「電話をかける⁄打电话」

朗読「詩を朗読する/朗诵诗」

次に世界、成果、安全、効率、生活などは読み方こそ違うが、字や意味はだいたい同じである。例を挙げてみると、世界「世界でも有名である/在世界上也很有名」

効率 「効率のよい機械/效率很高的机器」

2.同形異義語

中国語と日本語の漢語語彙の中には同形異義語が多い。

例えば、手紙、娘、新聞などがあり、それぞれまったく異なった意味を持つ。例を挙げてみると、

[手紙]は中国語では「トイレット・ペーパー」という意味を指すが、日本語では“レター”のことを指す。「手紙を出す/寄信」

「娘」は中国語では「母」という意味を指すが、日本語では「その夫婦が生んだ子供のうちで、女性のほう」のことを指す。「一番下の子供は娘である/最小的孩子是女儿」

「新聞」は中国語では「ニュース」という意味を指すが、日本語では、「ニュースペーパー」のことを指す。「新聞を読む/看报纸」

3.名詞の逆様

日本語と中国語の名詞が逆様になる場合もある。これも紛らわしいものである。

例えば、

img11

5.略し方

日本語と中国語の漢字の略し方も違っていて、ちょっと不注意をするとすぐ書き間違ってしまう。

例えば、

img12

5.慣用句

国によって、それぞれの慣用句があるわけである。中国語と日本語の慣用句は書き方も意味の表し方もずいぶん違っているから、しっかり覚えなければならないのである。簡単に例を挙げてみると、

img13

つまり、日本語は異質の文化を持つ日本人の言葉であって、中国語とはまったく違った言語である。中国は孤立語であり、日本語は膠着語である。漢字、発音、語彙、文法、表現形式もそれぞれ違う。特に、日本語には独特の表現形式や言語習慣があり、中国語の表現形式や言語習慣とはかなり違っている。ここでは主として、中国語と日本語の発想と表現について比較研究したいと思う。しかも、中日言語の発想と表現は中日両国の文化に緊密につながっているのである、そのため、文化の言語教育の中に溶け込ませなくてはならないということを強調したいと思う。

二、表現から見る発想法の違い

語彙の面から見れば、入門しやすそうな日本語は実に中国語とは発想法が違う。言語表現のもとに生み出した発想が理解できなければ、表現そのものの理解も難しくなる。日本語は日本民族の言語であり、日本人の思考様式、言語心理がある。それらへの認識が不十分なために中国の学生はよく間違いを起こす。

1.実例から見るその違い

①中国人は人にお茶を勧める時、「请喝茶」というのは普通である。だから、日本語を勉強している中国人は「お茶をどうぞ飲んでください」と言ってしまった。この文はどこからみても、文法的に間違いはない。正しい文である。しかし、「お茶をどうぞ飲んでください」と言うなら、それはかなり強制的で命令的な態度しか考えられない。その場合であっても、決して適切な表現だとは考えられない。客に対してお茶を勧める場合などであれば、「飲んでください」という言葉は使わないのが普通である。「お茶をどうぞ」、あるいはただ「どうぞ」とだけいって勧めるに違いない。極端的な場合には、「どうぞ」さえ言わないで、黙って茶わんに入ったお茶を勧める場合もある。ここから、日本人は強制的で命令的な態度を強力的に避ける習慣があるということが分かる。

②バスや汽車の中で席を譲られたとき、日本人は普通、「すみません」と礼を言って席に座る。手伝いをもらったとき、「すみません」と礼を言う。それは人に迷惑をかけたことから相手にすまないという心理が動いたようである。日本人がこういう行為に対して単純に感謝をするのでは足りず、その行為の主にとって若干の負担となっただろうと想像して詫びなければならない。詫びないと、相手に失礼になり、相手の好意を失う恐れがあるからである。中国人なら、「谢谢」と言い、「对不起/すみません」とは言わない。それは自分が助かったことから有り難いという心理が働いているようである。感謝を表すときに「すみません」という日本人の表現を中国の学生には説明しにくく、その言葉遣いには馴れにくいものである。

③商店の店先で客が店員に質問している場面を挙げよう。「これはいくらですか」という質問に対して、中国人は、最も自然的な反応の表現は値段、すなわち「五百円です」「それは五百円です」といった反応を考えるに違いない。しかし、調査によると、直接に「五百円です」「千円です」という反応を示した者は実はそれほど多くはなかったという。「どれ」とか「何ですか」とか、その場合によって非常に変化のある反応が表れてきたということである。中には極めて日本的な特徴を示した反応もあった。「たいへんお安くなっていますよ。」「あ、それは特にサービスのいいものです。」のように、質問者の目的に直接反応をするのではなく、その商品が値打ちのあるものであるという商店側の主張を表明しているわけである。これらは日本語のやりとりの表現としては一般性を持っている。これらも日本語を勉強している人たちに「日本の店先では客の質問に答えないで、ものがいいとか、あなたに似合うとか、宣伝ばかりする」と教える根拠ともなっている。

2.表現―発想―習得

以上の違いから見ると、日常的な日本語は、日本人の独特的な表現とつながっていることがわかってきた。そのため、日本語を習得する内に、日常的な日本語から、独特な表現法を集める必要があると思う。それによって、日本人らしい発想を推測でき、日本語らしい日本語を話せる、書けるにも役立つに違いないと思う。

三、発想によって、表現法の違い

次に発想の違いによる中日言語表現の違いを比較してみたいと思う。

1.実例から見るその違い

①中国人は率直にものを言い、直接的な表現を使う。それに対し、日本人は相手の気持を考え、自分の意見などを直接に言わなく、間接的表現を使う。例えば、人と議論をして、その中で、自分の考えを主張していくという場合を挙げる。「人と議論をするのが好き」という人、ほかの人と意見が合わない時、「自分の意見を通す」人は四分の一程度である。日本人は議論で角が立つのをきらいで、あからさまな主張をひかえるといわれるが、こういう傾向がはっきり出ている。女性より、男性の場合は、自己主張が比較的強いといっても、それは程度の差で、強烈的な自己主張をしないと考えられる。日本人は自己主張をひかえて、ものをはっきり言わないのはなぜだろうか。それは言葉や発言の内容が相手を傷つけないか、自分の不名誉、不利益にならないかと心配しているからではないだろうか。「口はわざわいの門」とか、「うそを言うのもやむをえない」とかの処世訓を実感として、受け止めている人がたくさんいる。それに対して、中国人の場合、人と話す時、意見が合わないと、「自分の意見を通す」という態度を取った人が多いのである。「我不赞成你的意见/君の意見に賛成しないよ」とか「这样不好/こうしたら悪いですよ」とか[我不那样认为/私はそう思わない]などの表現を用いる。

②中国人は事実をありのままに言い、話の実質を重んじ、自己肯定を表現する。それに対し、日本人は相手を思いやり、相手を気楽な位置に置く心遣いで、よく自己否定を表現する。例えば、人から、「どうも、お世話になりました」と礼を言われたとき、日本語の返事は「いいえ、何も致しませんでした」というが、中国語の返事は「不客气,这是我应该做的」という。これを日本語に直訳しやら、「いいえ、あたりまえのことをしただけです(やるべきことをやったにすぎません)」となり、大変失礼なことになってしまうだろう。

③中国語は意味が明確である。相手にわからせるためにはっきり説明をする。それに対し、日本語は意志とか感情とかを剥出しに表現することを嫌い、曖昧な表現をよくする。一つ簡単な例をあげてみる。場所は田中部長の好みに合わせてカラオケスナックになった。「田中部長は周さんの取引先である」周さんは田中部長に楽しんでもらうには、雰囲気を盛り上げようと考え、まず、演歌を二、三曲歌った。しかし、日本人の場合は、自分が楽しむより相手をたてて楽しませることを第一に考え、接待する。だから、周さんの部長、鈴木部長はこの時困った顔をしていたのである。カラオケに招待された田中部長が「楽しかった」と言ったのは「建前」なのである。「本音」を言えば、自分が歌えなくてあまり楽しくなかったはずである。しかし、田中部長は、会社の代表として個人の感情を抜きにし、不愉快な感情を表に出さず、「建前」の楽しかったと言った。もし中国人であったら、「还好啦」とか「还行」とかと言う。日本人の「建前」は「原則として」とか、「表向きには」という意味である。公的な立場からの見解について述べる時に使われる。それに対して、「本音」というのはその人の本当の気持である。日本人社会は人間関係を優先し、「和」を大切にする。この和を保つためには、私的な感情を表面に出さず、原則である。「建前」でコミュニケーションすることが必要になるわけである。

2.発想―表現―習得

以上の違いから見ると、日本人と中国人の発想をしっかり分かれる必要があると思う。日本人はふつうどういう発想によって言葉遣いをするのかと真剣に考え、そして、それを日本語の習得につながらなければならないと思う。日本人の言葉意識および言語表現を正確的に把握するこそ、日本語らしい日本語を習得できるようになると思う。

四、おわり

中国語と比べると、日本語は微妙なニュアンスと深い陰影に富んでいる。さらに日本人特有の話し方、書き方が日本語をいっそう複雑で、難しいものにしている。以上ただ表面的に中国語と日本語の発想・表現について比較してきたが、今後はもっと具体的に研究したいと思っている。例えば、日本文化の中の「礼」と中国文化の中の「情」は両国言語に与える影響について検討しようと思っている。

参考文献

1.金田一春彦.日本語.岩波書店,1985

2.金田一春彦.日本人の言語表現.講談社現代新書,1983

3.山下秀雄.日本のことばと心.講談社学術文庫,1988

4.芳賀すい.「日本人の表現心理.中央公論社,1984

5.韓立紅.日本文化の概論.南開大学出版社,2000

免责声明:以上内容源自网络,版权归原作者所有,如有侵犯您的原创版权请告知,我们将尽快删除相关内容。

我要反馈