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长句与短句的文体差别

时间:2022-04-06 理论教育 版权反馈
【摘要】:句子的长度是构成文体特点的一个重要因素。上面的长句至少是由这样的3个短句镶嵌组成的。不过,尽管程度不同,有的作家是以善于使用长句而著称的。与“つなぎ長文”相比,“繰り込まれ長文”则具有逻辑严谨、说理性强的特点,因此常在论说性文章中出现。如果说长句的表达重心相对地倾向于作者的主观思维的话,那么短句则具有较强的客观性,它反映出作者所持的是一种客观写实的态度。

句子的长度是构成文体特点的一个重要因素。日语的长句,大而分之,不外两类:连用式长句和连体式长句。前者也可称为“つなぎ長文”,它只是将若干短句按时间的顺序或逻辑关系不间断地连接起来。如:

家の裏に出てみると、麦畑は、もう柔らかその緑に色どられて美しく見渡され、むこうの樽の林からは、聞こえようが、聞こえまいが、人の世にはおかまいなく、ウグイスは、その声を響かせてきて、やはり、春だなあ、と感ずる。

(《新鮮現代国語一》尚学図書)

后者也可称为“繰り込まれ長文”,它的情况则比较复杂,它是在一个句子中镶入另一个句子,构成多重的、立体的结构。如:

原始人にとっては、多くの場合その部族を守ってくれる神によって具体的に決められた、その部族すなわち人間社会のただ一つの正義に反するものは、すべて不正とされた。

(樺島忠夫《文章作法事典》)

这样的长句不可能像前者一样,把句子从中间切断分为若干短句,而只能将它“拆解”开来,化为若干部分:

原始人にとって、ただ一つの正義がその部族すなわち人間社会に存在する。

この正義は多くの場合、神によって具体的に決められる。

そしてこの正義に反するものは、すべて不正とされた。

上面的长句至少是由这样的3个短句镶嵌组成的。一般都说长句难懂,仔细分析一下,恐怕主要指的不是“つなぎ長文”,而是这种“繰り込まれ長文”。笼统说来,长句的特点是结构复杂,容量大,利于表达复杂、连贯、严密的思想。但具体分析起来,上述两种长句各有特点,各有侧重。“つなぎ長文”描述性强,常在文学语言中出现。它比较适合用来描写作者亲身经历、感受或十分熟悉的事情:

道を歩いて居るとまはりかこんで有る所に話声が聞こえたから此所がろてん風呂だろうと思ったので人の話声がする所へ行って見ると五六人の人が湯の中へ入って居るのでよその人と話をするので此所が草津温泉のろてん風呂でただ入れるんですかと言ったらよその人が其うです此所が草津温泉のろてん風呂でただで入れますお前はどこの人だと言はれたのでおれは東京からいなかへ仕事さがしに来たので……

(山下清)

当然,如此之长、而且完全不用标点符号的长句是极少见的。不过,尽管程度不同,有的作家是以善于使用长句而著称的。比如谷崎润一郎就是很典型的一个:

幸子は万事方式に気が長い方なので、仮にも女の一生の大事をさう事務的に運ばうと云ふのは乱暴なと思ひもしたけれども、井谷に尻を叩かれた形になって、行動の違い彼女にしては珍しく、明くる日上本町へ出かけて行って姉にあらましの話をし、返事を急かされてゐる事情などを打ち明けて云ってみたが、姉は又幸子に輪をかけた気の長さなので、さう云ふことにはひとしほ慎重で、悪くない話とは思ふけれども一往夫にも相談してみて、よければ興信所に頼んで調べて貰ひ、その上でその人の郷里へも人を遣って、などと、なかなか暇が懸かりさうなことを云ふのであった。

(谷崎潤一郎《細雪》)

这句长达260个印刷符号的长句,是用了近10个接续助词:“ので、けれども、て、が”将句子连成一体的。虽然从内容上看句子是描述客观情况的,但由于句与句之间频频用接续助词,就使得作者对客观事物的看法、态度不由自主地表现了出来,因而句子也就带上了解说性的语气。因此,可以说“つなぎ長文”是一种在描述客观事物的同时又表现出作者的主观逻辑思维的文体。与“つなぎ長文”相比,“繰り込まれ長文”则具有逻辑严谨、说理性强的特点,因此常在论说性文章中出现。如:

科学の進歩の現在の段階、そして科学者の持っておる部品化の傾向、それとあわせて今言った四つ点で、外的自然の解明だけではなく、人間の心理、生命、知能メカニズムにまで科学のメスが入り込んできた事態、第二に自然のバランスをくつがえすほどの自然支配、第三に再生産不可能な資源の蕩盡、第四に人間自体が機械や道具の延長になってきた事態、こういう段階において部品化した科学者を組織化し、総合化し、これをまとめて人間の福祉につなげるその組織力をわれわれはどこに求めるべきか、これが私どもに、まさに一般の公衆に問いかけられている問題だと思います。

(都留重人《科学と人間の福祉》)

可以说这是一种“重箱”(じゅうばこ)式的结构,其中先由4个并列短句列举出现代科学所面临的严重事态,接着一句“连体修饰句”对“组织力”进行限定,最后用“これが……問題だ”来对全句进行“包揽性”的总结,层次分明,结构严谨,充分体现了长句的特点。如果说长句的表达重心相对地倾向于作者的主观思维的话,那么短句则具有较强的客观性,它反映出作者所持的是一种客观写实的态度。在这方面作家志贺直哉是使用短句的高手:

仙吉は空車を挽いて帰って来た。彼の腹は十二分に張っていた。これまでも腹一杯に食った事はよくある。然し、こんな旨いもので一杯にした事は一寸憶い出せなかった。彼は不図、先日京橋の屋台寿司屋で恥をかいた事を憶い出した。暫くそれを憶い出した。すると、始めて、今日の御馳走がそれに或関係を持っている事に気がついた。若しかしたら、あの場に居たんだ、と思った。きっとそうだ。……

(志賀直哉《小僧の神様》)

由于短句结构简单,语法关系明确,内容明白易懂,所以上述这段文字给人一种轻松爽快、干脆利落的印象。另外,短句还具有节奏快、富于跳跃性的特点。所以,它比较适合于用来描写动态的、紧张激烈的场面:

月夜のように蒼白く透明である。けれども何処にも月は出ていない。夜なのか昼なのかそれすら解らぬ。ただ蒼白く透明な原野である。その中を尾田は逃げた。逃げた。胸が弾んで呼吸が困難である。だがへたばっては殺される。必死で逃げねばならぬのだ。追手はぐんぐん迫って来る。迫って来る。心臓の響きが頭にまで伝わって来る。足がもつれる。幾度も転びそうになるのだ。

(北条民雄《いのちの初夜》)

这段文字由一连串短句组成,句子和句子之间并无逻辑上的联系,因而具有跳跃感;且短句多采用“~る”的现在时结句,因而造成强烈的现实、生动、逼真、紧迫的文体效果,令读者的心跳也不由得跟着加快起来。

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